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暗き水面の上で

僕は雨でも傘をささない主義だ。人から奇異の目で見られようとも、そこは譲らない。譲るべきところだと思わない。なぜなら、傘をさしたところで横殴りの雨は足を濡らすし、跳ね返りの雨は泥を含んで僕の体を汚す。濡れた靴と濡れた裾。そのまとわりつく感触が、雨の日の僕の憂鬱を生み出す。

そしてそれは、傘によって守られ、さながら晴天の下と変わりない上半身との差異によっていっとう激しいものとなる。人が自らを不幸に思うのは、いつも他人との相対的比較に基づいてのものだ。原始の人間は車の所有欲を持たない。江戸時代の人間はハワイに夢を馳せたりしない。現代の人間-それは僕も含めてだが-が車を欲し、休み毎に海外に繰り出すのは、富裕層がそうしているのを知っているからに他ならない。もし金銭的な面でそれが許されなければ、人は思う。あぁ、私は不幸だ、と。

それはまた、一つの肉体の中に於いても同じだ。じっとりとしたジーンズが、僕の足をペタペタと叩く。その一方僕の頭部は、快適そのもの。雨なんか降ってましたっけ?すまし顔である。脳はその二つを比較し、基準を頭部の快適さに置いて判断する。足が気持ち悪い。

ならば、と僕は思うのである。せめて体のすべての箇所を平等に濡らしてやろう。濡らして、差異の無いように。突出した不快感を更なる不快感で埋め尽くす。合計は増えつつも、すべてがそうならどうとも思わない。
ある意味諦めの論理ではある。全身乾燥状態で雨中を闊歩するという人類の夢を、捨て去る議論ではある。しかし、ただの人の子である今の僕にはこれが限界なのだ。人知を遥か越えた「雨」。時には恵み、時には破壊をもたらすその力の前に、僕の前にはただ諦めの一択しか残されてはいないのである。


・・・素直に言います、押して欲しいです・・・
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